太郎良真子という人

初めて、お通夜にいってきた。
いままで、怖くてなんだか、いくのをためらっていたからだ。
今回初めていってきた。

死ぬということが日常から遠く感じすぎてて
でも近いということは頭ではわかっている。

よりによってなんで、たろうらが死んだんだろうと思った。
朝ちゃんからメールでたろうらまさこが亡くなったとメールが来た時、
へえと思った。あまりに実感がなさすぎてだ。

26歳って、そんな歳じゃない。
しかもこないだ会ったばっかじゃないか。
恵比寿の展覧会の絵だってみてくれた。
今年、年賀状だってきた。
変なねずみの絵のシールがはってあった。

いつも
「かおりは○○だなあ」と、いろんなとこでするどいことばっか言って、
大体あたっててだからいつも困った顔をするんだけど、
そしたら、その顔にさえつっこむし、

そもそも、みんなあべって呼ぶから、かおりって呼ぶのはたろうらしかいなくって、
その言葉の響きそのものが、すでにたろうらな気がしてるくらいだったのに。

葬式はやけに清潔感があって、
業者の人が、やたら手際がよくって、
いやな感じがした。
たろうらはそういう感じは好きじゃなかったと思う。
雰囲気とか空気とかをいつもきちんと考えてて、感じてて、

展覧会に来てくれるときも、一人でじっくりと1枚1枚にかいた本人が、
恥ずかしくなるくらい、ずっと対面してくれる。
対峙といっても間違いじゃない。
私は、きっとこれからもいままでも、ずっと彼女の絵の見方が1番正しいと信じている。
絵は正しい形で、彼女に吸収されて行くような気がしてた。
きっと色々なことを感じすぎていたのかもしれない。えだけじゃなく。

こんな名字の人、他にあったことがないから、
都立大の駅のところにはってあった、葬式の場所を示す看板が、
本当に死んだのかもしれないと思わせて、
駅でゆかを待ってる時に泣きそうになったりとかして、
都立大に着く前には、嘘かもしれないなんて頭のどこかで思って、
本当だったらどうしようと、緊張したりしてたのに。

着いたら、成人式の写真のたろうらがいて、本当だったんだなと思うことになった。
涙がでたりひっこんだりした。

死んだら
全てがフルフラットだと思った。
おしまいはおしまいなんだってことだ。

あの中にいたすべての人がたろうらの知り合いだったとしても
私は、それでも、たろうらになにか特別なものをかんじていた人の一人だと思う。
朝ちゃんだってその一人だ。

お通夜の次の日朝ちゃんからメールがきてた。
たろがいつも、あべかおりのことを、妹みたいにたのしくはなしてくるから
絶対に知らせなくちゃと思ったって。

毎日会ってたってわけじゃないから、
明日あそぼうよとか言ったら、すぐに遊べる気がしてる、いまだって。

たろうらのこと、ほんとに大好きだった。

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