少しかなしかったこと

友達に、こないだ言われた。
ゲームをしていたら、
それって、意味ないんだよ。
って。

でも、実は最近そうは思わないんだ。
意味がないってさ、そんなのは心が痩せてるように感じる。

ひとってごはんが美味しいっておもえることが私はもっとも大事だと思うんだけど、それを思うにはいろんなことをクリアしなきゃならない。

まずこころが健康であること。
時間に余裕を持つこと。
材料をかいにいくこと。
おいしいものをつくること。
あるいは外に食べにいくこと。
さまざまだ。

最初はゲームに意味なんてないって思ってわたしも悩んでた時期がある。それに意味を見出せない人も確かにいるだろう。

でも、ゲームってひとことじゃない。そのものに楽しさやわくわくをかんじることもあれば、人とのコミュニケーションにドキドキする人だっている。

感じ方次第なのだ。
何も感じないで生きることの虚しさに対抗デキる手段のひとつだ。

私は娯楽というものがもたらす無限の可能性を今なら信じることがデキる。

自分だけには嘘はつけないから、これは世界に対する宣戦布告であると同時に自分への語りの言葉なのだ。

広告

最近言いたいことが山ほどある世の中

なんだか、思い込んでいた世界の間仕切りが嘘だったってわかった。
丸山は外に飛んで出て行ったのだ。
そこはそれまで、羊の冒険とおなじくらい高い堅牢な塀だと思っていた。実際そう見えていた。でも、ちがかったのだ。
これが、今生の別れではないと彼女は言うが、それは果たして事実ではない。本当は結局のところそうなのだ。何かが圧倒的に損なわれてしまった。しらないうちに。まるで、夜中に雪の降ってる間に、街を一変させてしまう降雪のように。
しかしたとえ、塀の中は安全で楽しい天国がひろがっていたとしても、人間がもつ好奇心という飛行機さえもっていれば、いつでもでていける。

思いおこせば、彼女によって世界の一部は作られたと言えるだろう。彼女はもうミライにいて、すでにこちらは見えないばしょにいるが、それは関係ない。その圧倒的な足跡は、セカイに空白を生んでしまうことは必至である。

それに気づいている人は他にもいるだろうか。